ふたたび 霜月のこと 



1日
(日) 暦を見たら、1日が日曜日なのは今年3回目。
まあ、どうでもいいことだけれど……。
 この頃は余りにも平坦な連日なので、このどうでもいいことが気になったりする。
今日は暖かくて、風が強い日だった。昨日たっぷりと洗濯をしたので、今朝はTシャツを2枚だけ乾したら袖が絡まって、ダンスをしているようだった。
女二人のダンスなんてなにやら怪しの雰囲気、さまにならない。
 なにごとも初めが肝心なので、今日はお財布をしっかりと締めて、一歩も外に出なかった。
だから夕方になったらなんだか体重が増えたみたい。
 それにしても何か違ったものが食べたい気分。連日残り物ばっかりやっつけているのだものね。
 冷蔵庫をかき回したら、なんとなく食べたい気分だったおろし煮を作れる材料がある。
気をつけてほんの少々作ったつもりだけれど、また残ってしまったので、隣の娘に押しつけて、ほっ!
 鎌倉のカズコさんから、「痛みは取れた?」とお見舞いの電話があって、それがねえ、と現状を説明したら、嬉しそうにけらけらと笑う。
 「なによ、なんで笑うの?」
 「だって私と全く同じなんだもの、それってうんと歳とった時に寝たきりになるんですってよ」
つまり彼女は自分だけでないのがよっぽど嬉しかったらしい。
 わたしは絶対治るからね!

2日(月)ずっと思いながら実行に移していなかった、今年のインフルエンザの予防注射を、何が何でも、という大決心をして受けに行く。
何故延ばしていたかというと、今まで毎年予防注射をしていてインフルエンザに罹らなかったので、今年辺りはもういいかな、と思ったのと、この間この先生のところでやった注射で、肩の神経に障って、それがどうやら今回の痛みの引き金になった可能性があること(こんなに長く掛かったのは、他の理由もあるらしいけど)なのだ。
 先生に「肩の痛みは治った?」と聞かれたとき、反射的に「ええ、大丈夫です」、と言ったのは、また注射をされたくなかったから。
 先生曰く、「あの注射はよく効くんだよ」「はい、おかげさまで」…ちょっと後ろめたかった。
 それにしても今日の寒さったら!昨日の小春日和はどこに行ってしまったのかしら。

3日(火)文化の日。私の生活の中には、今のところ文化の香りはまったくないけれど……。
 今月の仕事として、またお人形を作り始めた。先月おとーさんの引出しを片づけてみたら、びっくりするくらい沢山のポロシャツが出てきた。全部、秋恒例の古着の回収に出そうと思ったけれど、中には全く着ているのを見たことのない新しいままのがいっぱいある。
そこで、見なれた懐かしいものをお人形の服に仕立てて着せてあげようと思い立った。
 親衛隊のように、写真の周りにお人形が増えていくのが、見ていて楽しい。
 夕方になってやっとおみこしを上げ、今日5周年を迎えた御ひいきのケーキやさんのアンカフェに花をプレゼントしに行く。
 若い一人身で5年頑張ったオーナーのシゲナガさんに乾杯!

4日(水)6時から旦那の先輩のチバさんのお通夜に行くので、急に思い立って行きがけに茅ヶ崎のトモさんの所に寄っていくことにした。
 この前お邪魔したのは、たしか桜の咲く前だった。久しぶりにお邪魔したら、周りの家がすっかり空地になったり、新しい家が建ったりして、すっかり様変わりしていたのにびっくり。
 陽がとっぷりと暮れるまでたっぷりと遊ばせて頂き、タクシーを呼んでいただいて、隣町の辻堂の斎場にいく。 考えたらうちの葬儀のあと4軒目のお通夜だった。今日のお通夜は神式で、少しまごついたけれど、珍しくて興味深々。
 寒川神社の神主さんが執り行う儀式を見たかったけれど、肝心のところで、ご参列の皆様は頭を垂れてください、というので、結局「○○の儀」と言われても、何をやっているのか分からずじまい。
 お清めのお寿司を2個とサンドイッチをふた切れ頂いて、東海道線に飛び乗って8時に帰宅。
 帰ったらリビングがものすごく散らかっている。一瞬泥棒?と思ったくらいだけれど、出かける前に私が散らかしたものばっかりだった。
 明日は掃除機をかけなければ。

5日(木)3日前の寒さは過ぎて行って、また少し空気が緩んできたけれど、入れ始めた湯たんぽの醍醐味に、とっぷりと浸っている。
 たった950円のビニールの湯たんぽで、こんなに幸せ感が味わえるなんて、となんだか感激的気分。
 こんな連日を送っていたら、あっという間に体重は元に戻ってしまうだろうな。
 それで、ちまちまと用事をこなすために、今日は3回町に出て行った。
 夕方暗くなってから、家の中に花が切れていることが気になって、坂の下まで花を買いに行く。
 夕暮れの花屋さんて、なんだかふわふわと温かい気持ちにさせてくれるので好き。
 買ってきたピンクのシクラメンを旦那の写真の横に飾ってあげた。

6日(金)朝整骨院の帰りに、駅前の花屋の店先でふっと気持ちを誘われて、黄色と紫のコンビになったビオラを4鉢買った。
 まだ周りのお店はどこも準備中で、包んでもらいながら、「まだ開店前だったのね、ごめんなさい」、と言ったら花屋の奥さんが「この花との出会いよね」と嬉しそうに返事をした。
花屋さんてとっても花を愛しているんだな、と思う。
 折角出会ったこの花なので、帰ってすぐに玄関先のプランターに植えて、ついでにとことんさぼっていた草むしりを30分ばかり。体を動かしながら、私の体調もずいぶん回復したな、と実感する。
 そういえばこうやってパソコンを打っていても、腕が痺れなくなった。希望的な光が差してきたみたい。
 お昼にミワコさんとキミコさんがご到来。お呼びしておきながら、私ったらなんの用意もせず、ミワコさんにお弁当まで買ってきていただいて、すっかり甘えっぱなし。
 キミコさんは茶道を嗜む方なので、私がもう絶対に着ることがない訪問着、帯、雨コートなどを持って行っていただいた。
 すこしづつ、すこしづつ身辺に隙間を開けている。
 キミコさんが、「田舎にいって取ってきたの」、と大粒の銀杏を皮をむいて茹でてきてくださった。
 一粒口に入れたら、のど越しにふわ〜っと秋の風が通り過ぎて行ったみたい。
 お二人に頂いたお土産で3日は買い物をしないで済みそう。「私のお友達ってなんていい人たち!」

7日(土)家で鏡に顔を映すと、なんだか焦ってくる。どう考えても美しくない。もっとも前から美しいとは自分でも思っていないけれど、最近なんだか皺っぽい気がするのだ。
そこで今日は美容院に行くことにした。でも、美容院の鏡の前に座って自分の顔を見たときに、あれ?そんなにひどくないじゃん、と思った。
 そこで気がついたこと、美容院の鏡って魔法が掛けられているらしい。
 2時間鏡の前に座って、帰る時には、私って美人!と思わせる仕掛けがあるんだ。
それでなければご商売に差し支えるというもの。
 今日は買い物に行かない決心をしたので、冷蔵庫の中のもので、久しぶりに鶏と野菜のカレーを作った。
 私の節約精神も段々と定着しつつある。朝から雲ひとつない晴天だったので、昨日の続きの草むしりに専念。
 庭先がすこし綺麗になってきた。

                          

8日(日)朝方夢を見た。
旦那としっかり手をつないでいる。旦那は病院のガウン姿。「ねえ、あなたそろそろ洋服に着替えたら?あなたらしくスーツにネクタイ締めて」「うん、そうするよ」でも脱がせても脱がせても、下からパジャマが出てくる。
夢の中でなんだか悲しくなった。あまり悲しいので、もう目を覚まそう、とこれも夢の中。
 そういえば旦那が夢に出てきたのは亡くなってから初めてのことだった。
 今朝は特別よ、と言って、お線香を倍にした。久しぶりに洗濯。
 この頃洗濯ものがちっとも溜まらないので、さぼっている。

9日(月)最近しきりに、さしたることもなかりせば…という言葉が浮かんでくる。まったくさしたることがなさすぎる。
 そこで今日は、さしたることもなけれども…という方向転換をして、そうだ、渋谷に行こう!と思い立った。
 私としてはたった8分の特急電車に乗るのも大決心。理由は簡単で、要するに着替えるのが面倒なだけ。
 デイホームの帰りに近くからバスで行こうと思い立って、渋谷という大都会に行くに相応しい服を着て、デイホームに出かけて行った。
 それなのに、帰り路私の足は気がついたら、家に向かっているではないの。戻るのも面倒で、仕方がない、一度帰って電車で行こう、と家に着いてポストを見たら、宅急便の不在配達の紙が入っている。
これは待っていた荷物。
 かくして私の大決心はあえなくしぼんでしまった。
 宅急便を受け取り、夕方坂を下りて、本屋で文庫本を2冊。タオル屋さんの「カラカラ」で、タオル地で出来た化粧ポーチを4個買う。
 これは、私を慰める会をして下さると予告のあった、「トドの会」の仲良しさんたちの為。
 夜になって、明日のユトリーバのために、お鍋いっぱいの筑前煮を作る。
 先週の金曜日に、キミコさんがたっぷりとくださった青々と茹でた銀杏を、明日食べる直前に散らそうと思っただけで楽しくなる。きっと皆さま喜んで下さるだろうな。

10日(火)大急ぎで整骨院に行って、大急ぎで帰って「柿とひじきの白和え」と昨夜作った「筑前煮」の仕上げをする。
 昨夜のうちに解凍しておいた銀杏はぴかぴか。
 今日は嬉しいことに新しいお仲間が2人来て下さり、すぐに皆様と打ち解けてくださった。
 ユトリーバのメンバーは、全員がとてもおおらかな方ばかりなので、新しい方が来て下さっても、私は何の気も遣わないで済むのがとてもいい。
 今日は、誰でも歌える秋の歌を中心に、たっぷりと1時間歌い続け、夕方まで心ゆくままに話の花が満開。
 いい日だったな。
 本日どうしたことか素ッピンで一日過ごしてしまった。
 ユキコさんが入ってきて、「どうしたの?お化粧して!」と言ったから、わたしきっととんでもない顔をしていたんだわ。

11日(水)見事な紅葉を見た。といって、箱根に行ったわけでなし、ましてテレビの番組に触発されて日光に足を延ばしたわけではさらさらない。
 なんと、隣の娘の家の玄関先。その木は夏に白い花をいっぱい付けて目を楽しませてくれていた、確か夏椿と記憶していたのだけれど、葉が真っ赤に色づいたところをみると、椿ではない。
 花の形から、夏に咲くので夏椿と言われていても、きっと別の学名があるのだろう。
 昨夜からの雨は、時に怒りをはじけさせる如く、またある時は愚痴っぽく涙声で終日降りやまなかった。

12日(木)朝目覚めて壁の時計を見て、目を疑った。なんと、針が9時半をさしている。
こんなに寝坊したことは、嘗てないこと。よっぽど疲れていた、と言いたいけれど、このところのぐうたら生活では疲れるとしたら、さぼり過ぎ、眠り過ぎ以外に思い当たらない。
 いつもだったら、整骨院で治療を受けている時間。慌てて起きて、大急ぎでチーズトースト、ノニヨーグルト、コーヒー、それに柿を半分食べて生ゴミを捨てて治療院に駆けつける。
「9時半まで寝ちゃって」、と言ったら、「良いご身分」、と言われた。
 でも遅く行った怪我の功名で、帰りに生協が開いていたので、足りなくなった野菜、パン、チーズなどを買って帰ることができた。
 考えたら、なにも朝急いで整骨院に行かなくたっていいのにね。この辺が私の貧乏性たる所以。
 夜現れた息子に、「今朝9時半に起きた」と言ったら、「え?ボケたんじゃないの?」とぬかしやがった。
 そういえば、いいご身分で過ごしているとボケるって、聞いたことがあったっけ。

13日(金)あれ、今日は13日の金曜日だ…といっても、キリスト教信者ではないから、別になんのお咎めもない筈。
それにしてもこの温度の変化ったら……。がくん、と言った感じで落下した気温に体がついていけない。
 駅前の花屋さんで、この間買った紫とオレンジのコンビのビオラをまた見かけて、一瞬立ち止まったけれども、ポケットの中でようやく暖まった手を出したくなくて、通り過ぎてしまった。
手袋はどこにしまってあったかしら?探さなきゃ。
 昨夜作った牡蠣のクリームスープが、まだたくさん残っているけれど、ふと入れてしまったマイタケのせいで色が冴えず、そのうえ、少し塩気が強いような気がしたので、思いついてしょうが湯を足してみたら、あまい!
良く見たら蜂蜜入りと書いてある。
 寒くて外に出る気がしないので、棚の古い写真を整理して、懐かしいネパールの想い出にとっぷりと浸った。
 お昼過ぎに、キミコさんから古代米煎餅の大袋が送られてきた。これを私が全部食べたらどうなるかしらね。
 寒い季節が音をたてて近づいてきて、体も脂肪を蓄える準備に入っているようで、「油断一秒、後悔一生」のおそれありだ。

14日(土)今日も寒い朝を迎えた。早暁4時、どこからかうなりの波が寄せてきたと思う間に、がくんと地面が揺れる。
 一瞬の地震だった。まだ外が暗いので、そのままもう一度寝ることにしたら、次に起きたのが8時半。
 雨戸を開いて気がついたら、庭の山茶花の花がいっぱい咲いていた。
いつもだったらとっくに目についているのに今年はこの花のことを忘れていたらしい。
毎年この純白の花が開くと、<ああ、今年もあとわずかだわ>と思うのに。
 早いもので、旦那が永い旅に出てから間もなく3か月となる。慌しく、それでいてどこかぽっかりと空いた空虚感を持て余しているうちに、今年も終わってしまいそう。
 このところ超多忙で、東京を離れがちだった息子が、やっとのことで七七日忌のご挨拶を発送したために、今日は朝から沢山のお電話を頂いた。よく不祝儀のお礼は言わないもの、というけれど、こうしてあちらこちらからお電話を頂くとなんだか嬉しい気がする。
 なかにはまだお目にかかったことがない方もあって、お友達が出来たような気になった。
 明日も雨らしいけれど、なんとかして山茶花を切って霊前に供えようと思う。
 キミコさんが送ってくださった古代米のおせんべいに、「たかが煎餅、お礼などの電話は不要」と書いたお手紙が入っていたけれど、嬉しい贈り物で、「たかが煎餅、されど煎餅」と書いてお礼の携帯メールを送った。
 今夜は焼きそばが食べたくなって、ブタ肉とたっぷりの野菜で作って満腹した。そこで止めておけばいいものを、マチコさんが下さって1枚残っていた、直径10cm厚さ1センチのピーナツのお煎餅を食べてしまって、栄養過多!
 午後小学校時代のお友達のチエさんが、遅まきながらとお悔やみに来て下さり、この前いらしたのは10年前だったので、道をお忘れと思い、電話を頂いて自由が丘の駅までお迎えに出る。今日も朝からたくさんの電話で、不祝儀のお返しはお礼を言わないという風習は昔のことになったらしい。それはそれで、私にとっては嬉しいメッセージがいっぱい。
 昨日の電話でサチコさんが伝授してくださった「未亡人心得」を遵守して、手を抜かない一人のための食事を作る。
 彼女いわく「無駄なお金は使わず、楽しみのためのお金は惜しまず、栄養はしっかりと、それにもうひとつ、子どもがやってくれることは、絶対断らない(1度断ったら、2度とやってくれない)」だそうだ。
 今朝整骨院の帰りに買ってきたビオラを4鉢、玄関先のプランターに植えて、山茶花を1輪、手を伸ばしてやっとのことで切った。
 旦那のためと思ったけれど、粗忽者の私はやっと取った花の枝を間違って切ってしまって、短くて供えられず、仕方がないのでトイレに飾った。
 明日は花が落ちてしまいそうなほど、開ききっているけれど、純白の八重の真ん中がほんのりとオレンジがかってっていて、なんて上品な!としばし見とれた。
 夜になって息子が山形から買ってきたと、万年筆みたいな細長い胡瓜、さんまの昆布巻き、とうがらしの粕漬けなどなど、不思議なものをいろいろ持ってきてくれた。今年はあちこちでラフランスの安いのが目につくけれど、買ってきた袋を見たら、なんと、5個で100円。

                                 

15日(日)昨日先約優先の掟を破ってしまったともさんの所に、平身低頭して出頭する。本当は朝行きたかったけれど、焼き立てのフランスパンを持っていくとなると、どうしても午後になってしまう。
 午前中にご近所のお香典返しに7軒分歩く。どこのお宅に行っても、すぐにさようなら、というわけにいかず、 ともさんの所に出発した時は12時を回ってしまい、パンやさんが混んでいて、駅に着いたら東横線の特急が出た後で、横浜駅で目の前を東海道線が出て行ってしまい、次に来たのが踊り子号で乗れず、茅ヶ崎に着いたら、30分に1本のバスがタッチの差で発車…と何もかもがうまくいかない日。
 バスを降りてともさんに、「只今到着」、と電話を入れたら、「どうしたの、ちっとも来ないからてっきり事故だと思って、テレビのニュースをつけたのよ」、と言われた。
 自由時間は際限なくあるけれど、つるべ落としの秋の夕日に気持ちが追われて、ゆっくりする間もなく戻ってきた。
 帰りにお庭のみかんをとらせて頂いて、リビングのテーブルはまっ黄色。
「今度来る時は泊まるのよ」、とヨーロッパのペンションのようなお部屋を見せていただき、楽しみがまた増えた。

16日(月)一日中忙しい日。朝整骨院に行ったら、寝坊したお蔭でたっぷりと待たされて、帰ったらお昼近かった。
月曜日なので、デイホームに行って、帰ってから4軒のご挨拶回り。
 まだ重い荷物が持てないので1軒ずつのピストン訪問となる。一軒ずつ長話をするので、帰り路はとっぷりと日が暮れた。
 自由が丘の駅前にクリスマスの飾りつけができていて、パステルカラーのモミの木の中に浮かび上がった女神像が幻想的で、しばらく立ち止まって雰囲気に浸った。
 今夜は昨日ともさんのところで頂いてきたアユを塩焼きして、里芋とこんにゃくの炊き合わせ、油揚げと豆腐のお味噌汁、と完全な老人食になった。夜になって、歩きすぎが祟ったのか足が痛い。

17日(火)今日は鎌倉のオコシのところにヤスコさんと行く。延び延びになっていた、建て直してご新築のお宅拝見が目的。
 もっと早くに行きたかったのだけれど、旦那の介護ですっかり遅れて、今になってしまった。
 晴れ女の面目丸つぶれの本格的な雨のためか、横須賀線が5分遅れ。迎えに出てくださったオコシによれば、江ノ電も10分遅れたという。
 小町通りのフレンチレストランは、お世辞抜きで今までに食べたフレンチ、イタリアンの中で抜群の美味しさだった。
 端から端までことごとく行き届いたセンスの中で、これまた極上のお料理を満喫して、占めて3,000円は感激だった。
 そのまま伺ったオコシの稲村ケ崎の新築のお宅が、またまた抜群のセンスとロケーションで、只ただ感服の一語に尽きる。
 9℃という、今までで一番寒い雨の1日だったけれど、雨のお蔭で小町通りも空いていて、なんていい日!
 3人の旧友が皆幸せ感を味わった、最高の1日となる。
 そうそう、今日は出かける直前に、ともさんから見事な柿が、段ボールいっぱい送られてきたんだった。

18日(水)午後レイコさんとサトウカズコさんが来訪。103歳のお母様のお世話が忙しく、この前ユトリーバを欠席されたレイコさんも久し振りだけれど、カズコサンはユトリーバを止められて以来だから何年振りかの再会だった。
 だから久し振りでリビングを整理して、白いテーブルクロスを掛ける。これも私流のおもてなしのつもり。
 カズコさんは、2階のお嫁さんになにかあげると、要らないと返してくるといって、ストレスを溜めているらしい。
 「私だって娘に何を上げようといっても、大抵の場合断られるのよ」と話をして、「要するに私たちってやり過ぎなのよね」、というところで意見が一致した。でもちょっと淋しいおはなし。
 4時過ぎにお帰りになってから、頂いたままお喋りに夢中でいい加減な投げ入れ状態だった花を、もう一度丁寧に活け直す。
 昨夜はどういうわけか、寝そびれてしまい、考え事をして朝5時にやっと2時間だけ寝たので、今夜は何としても眠りたい。

19日(木)深々、しんしん……と寒さが突然にやってきた。季節をつかさどる神様は三段跳びの選手になったつもりなのかしら。完全に間を省略している。こういう日は私の痛みも休みなくやってきて、気を抜くいとまもない。
 幸いにして何も予定がないので、湯たんぽを温めて寝椅子に毛布をかけて、テレビ三昧。
 その間にいろいろな方から電話がかかってきて、居ながらにしての声だけのミーティングも悪くない。
 昨日お香典返しのリストを見直していて、アツコさんのお名前が間違っていることを発見。
私のやったことでないにしろ、これは私の重大責任だ。名前が間違ってきたら、いい気持ちがしないのは誰だって同じ。
 そこで慌ててお詫びの電話をしたら、彼女いわく、昨日成城に麻雀をやりに行くバスの中で、クニエさんのところに行くエミコさんに偶然出会って、我が家の不幸のことを話したという。皆かつての子供のPTA仲間。
 7時過ぎに電話が鳴って、「私は誰でしょう?!」と、どこかで聞いたことのある声が聞こえてきた。
はて、この声は?と思いながら思い出さない。ついにギブアップして、「ごめんなさい、あなた誰?」と聞いたらクニエさんだった。
エミコさんもクニエさんも、さまざまな過程の末にメリーウイドウの座を勝ち取った先輩。
 今の私にとっては、師匠とあがめるべきお歴々なのだ。「その元気な声を聞いて安心した」、といってくださったけれど、わたし、この生まれつきのソプラノで、今回相当損をしたり、相手をほっとさせている。
 次に掛かってきた旦那のお友達の奥さまの声が、あまりにトーンが低くて、恐縮して私も声を落とした。
 今日は彼の友人のN氏から、心温まるお手紙を頂いたので、昨日頂いた別のこれも旦那の友人の、Nさんからの優しいお手紙と一緒に写真の前に供えた。皆様がいたわってくださるので、少しおとなしくしなければ…。

20日(金)幾分寒さが緩んだけれど、朝夕はかなり冷え込んだ。
 午後になって調律師のタニガワさんが1年ぶりに現れる。
いつもだったらとっくに電話があるのに、連絡がなく、火曜日に合わせものの約束があるのに、このとんちんかんな音では、と、こちらから呼びこんだのだ。
 調律する時の完全4度の、最初ちぐはぐだった音程が段々と調和していく過程が好き。
 なんだか朝礼の初めに、ぐじゃぐじゃだった小学校の生徒の列が、だんだんまっすぐに整っていくみたい。
 終わったのが夕方に近く、出かけるのが面倒になったので、冷蔵庫で少し水分がなくなった大根を、薄味の出汁で煮て、栗とシメジと、インスタントのきのこおすましでご飯を炊いて、あとは残り物。
 このところ寝つきが悪く、夜中まで眠れない夜が続いているけれど、断固薬は飲まないことにした。
 だから昼間のちょっとした仮眠が、応えられないほど気持ちがいい。

21日(土)昨夜寝ようと思ったら、テレビでスカラ座のオペラ・アイーダが始まった。
指揮者が大好きなバレンボイムだし、オペラに久しく行っていないので、眠いのを我慢しても、最後まで見ようと思ったけれど、なんだか入り込めない。
コーラスとオケのわずかなずれも気になってくる。
 2幕2場の〔凱旋の場]まで見てベッドにはいりすぐに寝た。

 朝すっきりと目覚める。快晴。夕べは久しぶりにぐっすり寝たので、気分も爽快。旦那の本箱をベッドルームから隣の彼の書斎に運び、すこしづつ、すこしづつの引っ越しを始めた。私は彼の愛読書は殆んど体質に合わないのだけれど、子どもたちが捨てないで、というから仕方ない。ついでに洋服ダンスの向きを変える。
 作業中にマチコさんから庭の柚子が送られてきたので、2個お供えして1個を絞り、蜂蜜と熱湯を加えてホットジュースを作り、これは美味。小休止の積りがこれで作業はおわりとなる。集中力がないなあ。

                      

22日(日)朝から麻布のお寺に行く。1年に1回の高祖会というのは、日蓮聖人のお誕生会なんだそうで、不信心の私は旦那が一人で行くからいいというのを幸いにして、今まで行ったことがなかった。
 今回お知らせを受けて、息子が行こうというので一緒に行くことにした。それにしても本堂の寒かったこと!ご常連の皆様のお経がお住職さんよりずっと上手なのがおかしかった。
 お経が終わったら、三々五々御本尊の前に人が並んで、皆様お布施を上げているので、あれ?そうだったのかとすこし慌てたけれど、帰りの車の中で息子にそのことを話したら、1万円包んで行った、という。旦那のメモに書いてあったらしい。
 流石旦那の息子、と思った。私が今回彼の扶養家族になったのも、言い得ているかもしれない。
 これからは楽チンな生活になれるなあ。

23日(月)勤労感謝の日。さしあたって誰に感謝しようかしら?そうだ!自分に感謝の日だ。
3連休だというのに、私はデイホームにボランティアだもの。
 デイホームのはす向かいのバス停から、渋谷に行くことにした。反対方向の田園調布行きが2台走り去ったので、すぐに戻ってくると思いきや、15分も待たされてしまった。そして、驚いたことに、渋谷まで何と空いている時の倍の1時間も掛かってしまい、着いた時には太陽がビルの谷間に姿を消そうとしている。
 渋滞したのは自由が丘の町を通り抜ける時と駒沢公園からの多数の乗客のためだった。習慣というのは恐ろしいもので、早く帰らなきゃ、と一瞬気が焦ったけれど、すぐに、ああ、急ぐことはないんだわ、と気がついて、紀伊国屋へ入り探していた本を2冊、それから東急プラザで鮭4切れ500円と豚肉の厚切り3切れ、デパ地下で鶏のモモ焼きなどを買って、急行電車に乗って、あっという間に家に着いた。
 まあ、暇つぶしを有効にしたというところ。

24日(火)今日は古いお弟子のあやちゃん、同級生の越川夫妻がご到来。越川さんが伴奏者を探しているというので、あやちゃんの勉強になることを期待して、声をかけたのが実現した。
 お互い千葉県柏市と神奈川県厚木市という端と端に住んでいるので、真ん中の我が家を提供したというわけ。
 日も短い季節だし、午前中からということにして、私は久しぶりに本格的?なお昼ご飯を作ることにした。
 栗と茸のごはん、柿の白和え、茸の茶碗蒸し(この間鎌倉で食べてすごくおいしかったので、ぱくった)、トマトのサラダ、お吸い物はにゅうめん…と出来たらなんだかお寺の精進料理の雰囲気。
 合わせものを聴いて、暫くぶりで音楽屋らしい一日だった。
 夜になって、息子が大阪の日帰り出張から例によって赤福を2箱届けに来る。夕方娘と、きっとお兄ちゃん又赤福買ってくるよね、といささか恐怖感を抱いていたら、案の定!
 関西は赤福と決めているらしいけど、赤福が好きだったのは、じつは旦那なのだ。
 娘に分けようと思ったら、もう届けてきた、という。あまり嬉しそうじゃなかった、と言うのを聞いて、笑いそうになったけれど、この間サチコさんから伝授された未亡人心得の、<子どもがなにかしてくれると言ったら、断らないこと、断ったら2度としてくれなくなる>というのを思いだして、どうもありがと、と言っておく。
 明日から私は当分赤福の夢を見そう。

25日(水)少しずつ片づいていくけれど、まだまだ山のような課題を抱えている。
 息子が提案したゲストルーム作りを早く貫徹させたいのだけれど、沢山の雑物が右往左往するばかりで、消滅しない。
 深夜眠れぬままにつらつら考えて、旦那の洋服を捨てようと決めた。昨日いらしたコシカワ夫人に、そのことを話して、ゴミに出すと思えば抵抗があるけれど、旦那だって焼かれたのだから、洋服だって荼毘に付すと思えばいいでしょ?と言ったら、彼女が身を捩って笑った。
 誰かに着て頂ければいいのだけれど、言えば断りにくいだろうし、言って断られたらちょっぴり淋しい思いをすると思うと、結局は私と旦那との中で…(と言ったって旦那の意思は無視だけど)…決着をつけるのがベストと思う。
 一回も身に付けていないものもたくさんあるけれど、将来子供たちの負担を軽くするためには、私が全部捨てようと思う。
 でも、いつもかぶっていた毛糸の帽子や、2番目に気に入っていた(1番目は旅立ちの衣装にした)ポロシャツは私の引出しの奥に仕舞った。これでもう充分。
長い間の彼との確執も喜びも、私の胸のうちに全部収納済み。
 午後アツコさんが歯医者の帰り、と言って現れた。この話をしようと思ったけれど、優等生の彼女には怒られそうなので、言うのをやめる。
 ゲストルームは、マチコさんに「ザ・ホテル・ボロ」と命名したとメールを送ったら、
「THE HOTEL BOLLO」にしなさい、と返ってきた。
 Lを2つつけたら、高級感が生まれた。“THE”をどこにつけるか迷ったけれど、結局頭に着けることにする。なんたってホテルなんだ。ボロは謙遜。
 どうやらマチコさんの秘密基地になりそうな気配。しめしめ、留守番してもらえるわ。
 今夜も<マチコ柚子>をお風呂に入れて、ゆっくりと暖まった。し・あ・わ・せ!

26日(木)朝から忙しい。8時半整骨院に飛び込んで体調を整え、一旦戻って着替えてからまっしぐらに駅に向かう。
 今日は「トドの会」がヨコハマで「私を慰める会」を開いてくださるということで、11時半にみなとみらい線の元町中華街の駅の改札口集合と、司令が飛んだ。ご苦労様なことに、皆様都心からの大移動だ。この間用意しておいた「カラカラ」のポーチと、今日のために取り寄せた古代米煎餅を忘れないように昨日から袋にいれておいたけれど、誰が見ても、慰めなければならないようなしおらしさがないのが、ちょっと困る。
 今日は暖かく、山下公園の銀杏並木が太陽の光にきらきらと美しかった。
 元町を散歩してから中華街でお昼を食べて、大桟橋のティールームで夕方まで船を見ながらゆっくりと過ごす。
 今日は申し訳ないことに、すっかりご馳走様の日だった。久しぶりの中華料理で1キロ増えて、もう大変!
 生まれ故郷のヨコハマでの一日は、私に精いっぱいのサービスで、活力を与えてくれたみたい。

27日(金)今日も朝寝坊。起きたら8時を回っている。慌てずにのろのろと顔を洗って、今日は改まった外出先はないので、簡単に顔を作ったところに、書留の配達。起きててよかった!
 整骨院に行こうと思っているところに、シホコさんから電話。すかさず呼び込み屋と化して、ああ、今日も楽しい展開になるぞ、と嬉しくなる。
 さて、なにをご馳走しようかと考えて、この間息子が呉れたパスタとトマトソースのことを思いだして、早速準備にとりかかる。
 シホコさんはチロルでの骨折も完治して(骨折したことを知らず、山歩きを続けてきて、彼女らしい面目躍如なおはなし!)、またもぞもぞと落ち着かない雰囲気だった。
 きっとこの次会う時は、ネパールから帰った時、なんてことになるんだろうな。
 落ち着いた声の彼女に比べて、私の声はなんて甲高いのだろうと、喋っていて気がついたけれど、意識したのはほんの数分。
 すぐに生来のソプラノで喚いて?いる自分がいる。
 心がけの良い彼女は、今日は食べすぎたので、帰りに成城までバスで行って、そこから野川沿いにつつじヶ丘の自宅まで歩いて帰る、とおっしゃる。
 だから、小柄な彼女がふわふわと飛んでしまわないように、重しに柿を2個、無理やり持って行っていただいた。

28日(土)今日は土曜日で気温もゆるんだことだし、整骨院が混まないうちに、と8時半に出かけたけれど、もう先客があった。皆様思うことは同じ。
 頑固に青いままで頑張っていた庭の銀杏が、昨日から急に黄色味を増して、おてんとさまがお許しをだしたみたい。
 今日みたいな日は洗濯日和なんだけれど、洗濯機のなかにはほとんど洗うものがない。私って不潔人間!
 午後になったらどうしたことか無性に眠い。どうでもいいテレビの2時間サスペンスドラマをつけっぱなしにして、うつらうつらと気持のいいこと。
 2つの番組の間夢の中をさ迷っていたのだから、3時間の昼寝をしてしまい、今夜は又眠れぬ一夜になると思うとやるせない。今日は旦那が旅立って3か月目の命日。もし次のステップがあるのならば、どこまで行ったかしら。
                          

29日(日)また寒さが戻ってきた…というよりは、行きつ戻りつの秋から、段々と本格的な冬の到来に向っているということだろう。
 古い暦ならばとっくに霜が降りてきて当然だけれど、テレビでは「さつき」が2度咲きしていると報じていた。
 この数日、大好きな湯たんぽも放りっぱなしで出番がなかったけれど、またそろそろあの柔らかい温かみが恋しく感じられてきている。
 部屋の模様替えは遅々として進まないけれど、それでも思いつくままに少しずつ動かして、だいぶすっきりしてきた。
 ぽっかりと空いた旦那のベッドの跡を眺めながら、存在していた彼との時間を反芻するのも、楽しみのひとつとなりつつある。
 年末の喪中のご挨拶状もやっと200通の宛名を書き終えた。近年はパソコンで作るので手間が掛からなくなったけれど、せめて宛名だけは自筆でと思って始めたのが3日前。
 なんだか我ながら字がとても下手になったと思う。
 こうやってさぼり癖が身についてしまわないように、いろいろなことを心がけてやらなければ、と決意だけは固い。
 今朝、マドレーヌ・マルローさんのモーツアルトの幻想曲を聴いた。私の大好きなピアニストだ。
95歳を過ぎて現役で、年齢相応の頑固さを垣間見せながら、それでいてどこかフランス的に洒脱な、ちょっと一味違うモーツアルトは楽しかった。

30日(月)夢をみた…といっても、夢を見ない日のほうが少ないというのが最近の傾向なのだけれど…。
 どこか知らない人の家をせっせと片づけているけれど、あまりの散らかりように、ほとほと困り果てている。
 いくら片づけてもあとからあとからごみが湧いてきて、腰が痛くなって目が覚めたら、体中が痛かった。
 今日の整骨院は1番乗り。寒くて皆様出足が鈍ったみたい。今日もデイホームは元気印の揃い踏みで、こちらのほうがいささかくたびれて、それでも反応があるのは嬉しいこと。
 お天気が悪いので、今日はことさらに陽気な歌をたっぷりと歌って、私はくたくた。
 帰ってから1時間ほどうつらうつら。
 熊本のスミコさんからみかんが送られてきた。ついこの間と思ったのは、もう1年も前のことだったのだ。